高野山結縁行脚

高野山結縁行脚 名古屋の街を歩く(平成26年7月4日~5日)

名古屋に高野山結縁行脚を担当するにあたり、金龍寺では奉送迎の全コース2日間21キロを徒歩で実施しました。

1.『生かせ 撫で三鈷』
 4月に北海道をスタートした高野山結縁行脚は、全国民に高野山御開創1200年を知っていただくことが趣旨になっています。また、日本人のなかには、高野山や弘法大師をまだ知らない方々が大勢おられます。このご縁のない人たちに弘法大師と結縁していただきたいという強い願いがあって、奉送迎の全行程は徒歩という計画を立てて実行しました。徒歩行脚の各集合場所や途中の休憩所にて、市民に「撫で三鈷」を自由に触れていただくための場作りの準備と模様をご報告いたします。

写真1.街頭での撫で三鈷写真1.街頭での撫で三鈷

 

2.『三鈷の拝受』
 7月4日(金)、愛知青年教師会(鈴村裕正会長)主催の「高野山御開創千二百年お待ち受け記念公演」が名古屋市熱田文化小劇場(熱田市役所隣接)で開催しました。舞台は13時から開演。公演の式次第は、青年教師の布教、大般若転読法要[写真2]、御詠歌と舞踊の奉納という順でなされ、15時30分に記念公演が終了。その閉幕直前に、金龍寺住職ら3名が舞台にあがり、「飛行(ひぎょう)三鈷」「聖燈」「撫で三鈷」を拝受しました[写真3]。 舞台の階段を降りて中央の通路を進み[写真4]、満場の拍手をいただきながらホールを出ます。隊列をなして去りゆく高野山行脚隊を、涙ぐんで送ってくださる観客が多く見受けられ、われわれ一行は身を引き締めて、名古屋の街に足を踏み入れました。

写真2.お待ち受け記念公演写真2.お待ち受け記念公演
写真3.飛行三鈷の引継ぎ写真3.飛行三鈷の引継ぎ
写真4.劇場を出る行脚隊写真4.劇場を出る行脚隊

3.『あれ、なあに』
 ホールの玄関で旅支度を調えた行脚隊は、一路三キロ先の金龍寺へ向かいます。先頭は高野山御開創1200年の赤い幟、次に金龍寺住職が御本尊「飛行三鈷」の重い箱を背負い、次に高野山櫻池院住職が「聖燈」を持ち、次に水谷隆深師が「撫で三鈷」を両手に抱き、次に20余名の随喜参列者が連なり、最後尾には白い幡をひるがえして行進していきます[写真5]。雨天でも決行するという計画で参加を呼びかけましたが、幸いにも天気に恵まれて快調な行脚になりました。なお、「聖燈」と「撫で三鈷」の奉持は、隊員がそれぞれ交代しながら歩きました[写真6]。 沿道の通行人や車中の人たちは、高野山行脚隊に出会って、もの珍しそうに立ち止まります。下校中の女学生たちが、「あれ、なあに」と、笑いながら眺めています。家の軒下に立って合掌する家族もあります。そのような人たちに、路上で「撫で三鈷」を差し出し、お大師さまと結縁していただきながら市街地を歩きます。なお、横断歩道の赤信号は、足休めのありがたい待機時間でした[写真7]。

写真5.結縁行脚の隊列写真5.結縁行脚の隊列
写真6.若人も参加して歩く写真6.若人も参加して歩く
写真7.横断歩道を渡る写真7.横断歩道を渡る

 

4.『商店街の協力』
 いよいよ金龍寺が近づき、なじみの商店街を歩きます。そのまま通過せずに、あらかじめ挨拶をしてあった賑町商店街の木村仏具店[写真8]と雁道(がんみち)商店街の正木洋品店[写真9]では、店頭に「撫で三鈷」等を安置して結縁していただきます。店頭で待ちかねていた方々に、高野山御開創1200年の説明をして、弘法大師と縁を結んでいただきました。店主から参拝者に茶菓のお接待があり、行脚隊の小休止も兼ねました。

写真8.木村仏具店写真8.木村仏具店
写真9.正木洋品店写真9.正木洋品店

5.『千巻経法要』
 夕刻17時、金龍寺に到着[写真10]。行脚隊は御詠歌の響きに迎えられて山門をくぐり、御本尊・名古屋大観音(高さ9メートル)の正面に「飛行三鈷」と「聖燈」「撫で三鈷」を安置[写真11]しました。そして、弘法大師の御宝前には千年不滅の「聖灯」を捧げました。 参拝者六十名とともに般若心経二十一巻をお唱えする「千巻経法要」を勤めるなかで、三鈷を皆さんに撫でていただきました。法要の後、高野山櫻池院・近藤堯寛住職は、独鈷と三鈷と五鈷をそれぞれ手に持ちながら、「三鈷のこころ」について法話がなされました[写真12]。 最後は茶話会にて解散しましたが、会社帰りの人たちのために、二十一時までそのまま本堂で「撫で三鈷」の結縁を続けました。

写真10.金龍寺山門に到着写真10.金龍寺山門に到着
写真11.金龍寺本堂に安置写真11.金龍寺本堂に安置
写真12.堯寛住職の法話写真12.堯寛住職の法話

6.『うれしくてことばにならない』
 翌朝7月5日(土)、高野山結縁行脚隊は金龍寺を8時30分に出発。機材を積んだ2台の援護車両は、隊列に付き添いながら、18キロ先の春日井市・林昌院(高橋錦瑞住職)をめざします。先頭に山伏姿の佐藤堯仙師が加わり、昨日と同じ編成で行脚隊が連なります。楽しくおしゃべりをしながら歩きます。名古屋の市街地をそぞろに歩くことは滅多にありません。ましてや高野山からはるばるやってきた隊列です。いつもの風景とはどこか違って見えます。倉橋正年さん(八十六才)は、「昨日、雁道商店街で高野山の行脚に出会って、私も歩いてみたいと思って、参加しました。皆さんと一緒に歩けて、ことばにならないほどうれしい」と、語ってくださいました。途中の集合場所は三ヵ所に指定してあります。金龍寺から2.5キロ先のJR鶴舞駅へ9時30分に到着。さらに4.5キロ先のJR大曽根駅に11時30分着。さらに4.5キロ歩いてJR勝川駅へ到着したのが13時50分。すべて予定どおりです。勝川駅から目的地までは4.5キロありますから、15時20分頃の到着予定になります。その道すがら、「勝川大弘法」[写真13]の崇彦寺住職らに迎えられて立ち寄り参拝をしました。

写真13.勝川大弘法写真13.勝川大弘法

 

7.『駅前で大師と結縁』
 援護車は、集合場所が近づけば次の駅へ先回りして、駅前広場に「撫で三鈷」と「聖灯」の安置場所を設定し[写真14]、冷たい飲み物を用意して一行の到着を待ちます。行脚をここで終わる参加者には、参加修了書である「結縁之證」を読みあげて手渡し、金糸で編んだ「藁草履(わらぞうり)」を記念品として贈呈します[写真15]。また、ここから新しく参加する人もあり、メンバーが入れ替わります。なお、この行脚満行の記念品である結縁之證と藁草履は、参加者全員にプレゼントするために、世話人が数ヶ月かけて手作りで制作したものです。

写真14.駅前での結縁写真14.駅前での結縁
写真15.参加修了書の授与写真15.参加修了書の授与
8.『雨宿りしてゴールイン』
 天気予報どおりに15時から大粒の雨が降り始め、春日井市役所の手前にあるサークルKで全員が待機しました[写真16]。ケータイで問い合わせてみますと、林昌院は雨ですが、名古屋は降っていないということです。通り雨であろうと思って店内で待ちました。しかし、雨はまったく止む気配がありません。待つこと90分。雨宿りのこの店から勝川駅へ帰る人と、このままゴールを目指す人とを分けました。林昌院のご住職たちが待つこと2時間ほどして、小雨のなかを結縁行脚隊が到着しました[写真17]。ここで待機していた人たちも山門の外へ出て、全員が隊列に加わって林昌院へ「結縁行脚一式」を無事に奉送することができました。堂内に奉安されている四国八十八ヶ所霊場の御砂踏を巡拝させていただき、本堂にて「受け渡し式」を行ない[写真18]、高橋住職の歓迎挨拶をいただきました。名古屋へは19時の帰宅になりました。柔らかいソファに身を沈めて、テレビにスイッチを入れました。快い疲れと安心が全身に流れます。

写真16.雨宿りの隊員写真16.雨宿りの隊員
写真17.林昌院に到着写真17.林昌院に到着
写真18.林昌院へ受け渡し写真18.林昌院へ受け渡し

9.『雨ニモマケズ』
 高野山結縁行脚が名古屋の市街地を歩くために、実行委員会を6回にわたって念入りに協議を重ねました。委員は、吉田堯仁、佐藤堯仙、安達堯禅、菊谷堯渓、木村堯風、水谷隆深、末田義信、中村初行の諸氏です。集合場所や休憩ポイント、道路状況、警察への通行許可、機材の担当責任、撮影、救急医薬品、コンビニの位置等、2日間の全コース21キロの調査を周到に行なった上で、高野山結縁行脚を金龍寺に迎えることができたわけです。名古屋市民に弘法大師と縁を結んでいただきたいという情熱は、雨も寄せつけません。一路、目的地へ向かって行進を続けました。
 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 重キ荷ニモマケヌ
 サウイフモノニ
 ワタシハナリタイ
高野山結縁行脚は、まことに得がたい貴重な体験でした。この苦労談は、今後も金龍寺の世話人会で末永く語り続けられていくことでしょう。

堯潤記


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